ボケって多ければ多いほどいいの?

漫才の作り方

今回は、漫才の中におけるボケの数について考えてみたいと思います。

皆さんは、漫才を作る上で、ボケの数は多い方が良いと思いますか?
あるいは少数精鋭で、爆発力のあるボケを用意したネタの方が良いですか?

もちろん、算数の問題ではありませんから、どちらが正解というようなことはありません。
しかしながら、とくにM-1グランプリに出場されるためにネタを書いている方であれば、「とにかくボケは増やしたい」と考えている方のほうが大多数なのではないかと思います。

近年、M-1を中心とした「賞レース」における漫才を「競技漫才」と称する記事などを目にすることが増えています。

M-1での漫才は、一般的に演芸場などでおこなう漫才とは似て非なるもので、M-1の対策を施した、いわばM-1という競技に勝つためだけに工夫されたものだという指摘です。
そして、その「競技漫才」の申し子といえるのが令和ロマンで、彼らはM-1の傾向と対策をひたすら勉強し、M-1に最適なネタを作り上げることで前人未踏の連覇を達成した──。

色々な意見はあるでしょうが、ざっとこんな感じの論調で「競技漫才論」が展開されることが多いように思います。

そして競技漫才の中では、基本的にボケが1つでも多い方がベストというのが一般的な定説です。
決勝でも4分、予選ではもっと短い時間の中でネタを審査されてしまうM-1において、”笑いが起きた回数”というのはどうしても大事になってくるので、たくさん笑いのポイントを仕掛けるコンビが増えるのは必然でしょう。

令和ロマンはもとより、24年から2年連続で決勝進出したヤーレンズはとにかくボケ数が多いことで知られています。出井さんも楢原さんもただでさえ早口ですし、速いテンポの漫才の中にこれでもかとボケを入れています。

やはり作る側の心理としても、短い制限時間の中で、仮にボケ数が少なめのネタを用意したとしても「ウケなかったらどうしよう」という怖さがつきまとってしまうリスクがあるでしょう。
それよりかは、「これがダメでも、すぐ次のボケ!!」みたいな感じで、どんどん展開していくほうが精神的にもラク。

ということで、「競技漫才」においてはボケ数が多いのが主流になっているのが現状だと思います。

ただ、だからといって多数派になびいてしまう必要はまったくないと私は思います。

ヤーレンズのようにとにかく早くボケまくるようなネタも、当然ながらとても面白いですが、数少ない渾身のボケに向かってスローテンポで会話を進めていくような漫才がもっとあってもよいと思うのです。(今の時代そういう漫才が減ってきているから、逆に目立つかも…!?)

なので、何が言いたいかといいますと、無理に自分たちのスタイルを崩してまで他の誰かに寄せるべきではなくて、ボケを詰込みすぎずに自分たちのペースでゆっくり目に話していくスタイルが良ければ是非そうしてください、ということです。

漫才は自由です。

好きにやった結果ウケないかもしれませんが、同じウケないなら、やりたくないスタイルでウケないより、好きなやり方でウケない方がいいですよね?

ということで、今回はボケ数の多さについて考えてみました!

★ココナラでネタ作成のご依頼を募集中!お気軽にご連絡ください!★

コメント

タイトルとURLをコピーしました