コント漫才・永遠の課題

漫才の作り方

漫才とは「偶然の雑談」というような定義をする場合があります。何の打ち合わせもなく、偶然始まったふたりの会話が思わぬ方向に行ったりして面白さを生む。もちろん実際にはネタ合わせをしているわけですから、基本的にはセリフが決まっているのが漫才なのですが、あくまで漫才師たちは初めて聞いたようなリアクションをするわけです。
そのような観点がある中で、「ちょっと練習したいからやってみよう」等の流れで、「コント」を始めることが、自然発生的な偶然の雑談と言えるか?という問題点がどうしても発生してしまい、その点が気になってしまう観客が出てしまうのは仕方がない部分があるでしょう。
とはいえ、今更その点を強く指摘するようなお笑いファンは殆どいないでしょうし、「コント漫才ってそういうもの」という理解も浸透しているように思います。それは、前述のサンドウィッチマンの漫才を見れば顕著です。今や国民的な人気を博しているサンドウィッチマンですが、コントパートへの導入を限りなく省略している構成だからです。
サンドウィッチマンの名作と言われる漫才に「ピザの出前」のネタがあります。入りを見てみましょう。

伊達「世の中ね、興奮することが色々ありますけど、一番興奮するのは、出前の遅いときですよね」
富澤「間違いない」

という会話から入り、もう次のセリフはコントパートになっているのです。
もし、あなたの職場や学校の休憩時間に仲の良い二人がこのような会話をはじめ、次の瞬間にいきなりピザの配達員とお客さんになりきってコントを始めたら違和感しかないでしょう。「は?いきなり何やってんの?」と思うでしょうし、「偶然の雑談」としては成り立ちません。
しかしながら、おそらくサンドウィッチマンのふたりは、「もう、別に世の中の人は、漫才のパターンとしてコントにいきなり突入してるのも当たり前に慣れているよね?」という考えのもと、導入部分を工夫したり自然さを追求する努力よりかは、1秒でも早く本題に入り、ボケ数を1個でも増やしたいという考えなのだと思います。ヤーレンズの構成もそのパターンに近いですし、「いきなりコントに入る違和感」については開き直っている漫才師が多いように見受けられます。
その要因には、近年叫ばれている「M-1の競技漫才化問題」も関係しているでしょう。決勝戦ですら4分という短い時間で争われるM-1において、1秒も無駄にせずにいかに笑いのポイントを増やせるかを論理的に分析している漫才師が多いと言われているのです。令和ロマンの髙比良さんが漫才の分析を得意とされているように、「M-1で結果を残すにはとにかく1秒も無駄にできない」という風潮は昨今増々加速しているように思われます。

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